2018年8月12日 ウェストミンスター小教理問34

子とされることとは何ですか。
子とされることも、神の一方的恵みによる決定です。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです。

 「子とされること」と言う言葉は、もともと「養子とされること(adoption)
」と訳される言葉で、血縁関係でなく、法的関係において、子とされることを意味します。
 つまり、神と人間はもともと創造主と被造物の関係でありながら、ただ、神の恵みによって、神を父と呼ぶ子としての間柄を与えられるという事です。
 新約聖書の冒頭に、「アブラハム子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタイによる福音書1章1節)とあるように、もう一つの驚くべき関係は、永遠の神の御子である御方が、人の子としての御名をお持ちになったという事実です。
 そして、わたしたちが、神の子とされるためにこそ、御子イエス・キリストは、人の子として、その肉においては、罪をほかにしては、わたしたちと同じように、ヨセフの子として、契約の子の代表としてお生まれになりました。
 今、わたしたちは、「あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」(ガラテヤの信徒への手紙4章6節)と証言されているとおりに、御子の霊、聖霊が、神を父と呼び求める霊を、わたしたちの心に送られている恵みの事実を認めることができます。なんと、感謝なことでしょうか。
 「ヤコブよ、あなたを創造された主は イスラエルよ、あなたを造られた主は 今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」(イザヤ書43章1節)と言われるとおりに、贖い主である神、キリストが、ご自身の贖われた民、一人一人の名を呼ばれていることに応えつつ、救いの命を子としてあらわして歩みましょう。
  
 聖書の言葉
 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
                    ヘブライ人への手紙3章6節
 わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、愛する独り子イエス・キリストの命を、わたしたちの身代わりの命としてお与えくださり、感謝します。今、あなたの子とされ、キリストの治めておられる神の家族の一人とされた者として、いよいよ、あなたを「父」と呼び求めつつ、あなたの御心に適う歩みの中に、わたしたち一人一人を導いてください。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。

 

2018年8月5日 使徒信条

 主は・・三日目に死人のうちよりよみがえり、・・。

 主イエス・キリストが、十字架の死から三日目に復活されたことを信じるとき、わたしたちは、弟子たちと同じように、復活の主がいつも共におられることを信じて歩むように変えられます。それは、主イエス・キリストが、今、ここで、復活の後、天に昇られた御方が、霊において、生きて働いておられる、まことの神であることを物語っています。
 使徒ペトロは、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように」と賛美し、「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産(=神と共に歩むという希望、神が御自身の民のために確かに保持してくださる契約的祝福)を受け継ぐ者としてくださいました」と言いました。
 それは、主イエス・キリストの復活が、わたしたちにとって、この地上の生涯を歩む、忍耐と希望の源であることを証しするものです。
 そして、イエス・キリストが再び来られるとき、皆、「朽ちるもの」(死ぬべき、はかないもの)であっても、「朽ちないものに復活する」約束をいただいています。「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。」(コリントの信徒への手紙一15章56節)と叫ばれるほどに、神の律法は、わたしたちの罪を明らかにして責め立て、また、罪の結果としての死を指し示します。しかし、主の再び来られる日には、「死は勝利に飲み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(15章52、53節)との御言葉が実現するのです。
 「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝」し、「主の業に常に励み」ましょう(15章57、58節)。

  聖書の言葉 
 兄弟たちは、小羊(イエス・キリスト)の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
                    ヨハネの黙示録12章11節

わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、愛する独り子が、わたしたちのすべての罪と滅びの死を負ってくださり、十字架の死から三日目に復活されたことを信じ、御名をほめたたえます。どうか、罪の責め苦や、死への恐れを感じるときにも、主が最も近い御方であること信じ、絶えず、忍耐と希望をもって、歩ませてください。わたしたちの愛する主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

2018年7月29日 ウェストミンスター小教理問33

義認とは何ですか。
義認とは、神の一方的恵みによる決定です。それによって神は、私たちすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しいと受け入れてくださいます。それはただ、私たちに転嫁され信仰によってだけ受け取るキリストの義のゆえです。

 義認とは、無罪宣告です。それは、神の無条件の恵みによる一回的決定であり、神の働きによるものであって、人間の側には、一点もその功績の余地は残されていません。
 なぜなら、人間は生まれながら、アダムの堕落において、皆、原罪を負っており、その本性において、神に敵対する罪を負い、神の御前に最も善いことであっても、なお罪汚れている者であるからです。
 このように、罪は、外面的なものでなく、一時的なものでもなく、心と言葉と行いのすべてにおいて、全面的に神と隣人を愛することに適うためには、皆、聖霊の独占的で主権的な支配によるしかないのです。
 聖霊は、イエス・キリストが、ただ一度、十字架の上で成し遂げられた、完全な贖いを、わたしたちに有効に適用してくださり、信じる者すべてに、キリストの義を転嫁してくださいます。そして、「私たちすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しい(罪赦された者)と受け入れて」くださるのです。なんと、驚くべき、神の憐れみでしょうか。
 アブラハムが、妻のサラ共々老齢になり、人の目には子宿すことができないことを知りながらも、「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在される神」を信じ、「神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと確信し」「それが(神によって)彼の義と認められた」と、使徒パウロ言い、(ローマの信徒への手紙4章17、21、23節)ます。
 そして、「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められ」(ローマの信徒への手紙4章24節)るのです。
このただ一度の、神による義認こそ、神との和解であり、神の救いです。  

 聖書の言葉
 いかに幸いなことでしょう。主に咎(とが)を数えられず、心に欺(あざむ)きのない人は。                    詩編32編2節
 
 わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、愛する独り子イエス・キリストが、十字架の死と復活において成し遂げられた、唯一の贖いの犠牲のゆえに、信じる者を罪赦された者とし、あなたの恵みの契約とその祝福を受け継ぐ者としてくださり、感謝します。どうか、神の御力を信じ、信仰によって生きることができますように、助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。

 

2018年7月22日 ウェストミンスター小教理問32

有効召命されている者は、この世で、どんな祝福を分け与えられますか。
有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます。

 聖霊なる神の御業によって、御言葉の力のとおりに、わたしたちが、心を開かれ、自分の罪と悲惨とを自覚し、キリストを知るように心を照らされ、その意志をも新しくされるとき、十字架につけられ三日目に復活されたイエスこそ、神が約束されたキリスト、救い主であると、御子に関する、神の福音(よきおとずれ、良き知らせ、勝利宣言)を信じるように、有効に導かれます。
 そればかりでなく、この聖霊の御業によって救いに対して有効に召し出された者たちには、この世で、「義認、子とされること、聖化」と、「それらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」。
 イエス・キリストは、「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書4章14節)と約束してくださいました。
 聖霊なる神の恵みが、イエス・キリストの福音を通して注がれるとき、その恵みにあずかる者たちの内から、救いの恵みとその祝福の豊かさが分かち合われることを意味しています。
 主イエス・キリストの福音は、罪人を救うだけではなく、救われた者たちを、ただキリストの贖いのゆえに、罪赦された者、義人と認めてくださり、神の子として愛ししてくださり、永遠の御国を受け継ぐ者としてくださいます。そして、主の霊によって、「わたしたちは皆、顔(もしくは心)の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられていきます。」(コリントの信徒への手紙二3章18節)
 今日も、主イエス・キリストの霊(聖霊)に導かれつつ、主の御業において、主の御心を求めて祈る者とされた祝福を共にし、御名をほめたたえましょう。 

 聖書の言葉
 救いは主にあります。あなたの民に あなたの祝福がありますように。                         
             詩篇3編8節 新改訳[3編9節:新共同訳]
 
 わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、愛する独り子イエス・キリストの十字架上で成し遂げられた贖いの御業において、今、わたしたちを聖霊の恵みによって、そのすべての祝福にあずからせてくださり、感謝いたします。どうか、心の罪が打ち砕かれ、全能の神の御力と、御子の復活の命を信じ、聖霊の喜びに生かしてください。教会の頭、主、イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。

 

2018年7月15日 ウェストミンスター小教理問31

有効召命とは、何ですか。
有効召命とは、神の御霊の御業です。これによって御霊は、私たちに自分の罪と悲惨とを自覚させ・私たちの心をキリストを知る知識に明るくし・私たちの意志を新しくするという仕方で、福音において一方的に提供されるイエス・キリストを私たちが受け入れるように説得し、受け入れさせてくださるのです。

 主イエス・キリストは、種まきのたとえ話において、同じ御言葉の種が蒔かれても、道ばたに落ちて鳥が食べてしまったり、石だらけで土の少ない所に落ちて枯れてしまったり、茨の間に落ちてふさがれてしまったりすることがあることを教えてくださいました。良い土地に落ち、実を結ぶことができるのが、この教理問答の教える、「有効召命」であり、聖霊による救いの御業です。
 聖霊なる神(御霊)は、第一に、わたしたちに、聖なる神の御前に、罪ある者であることを自覚させてくださり、その罪を神が悲しまれているように、悲しむ感情を起こしてくださいます。第二に、わたしたちの心を、御言葉によって、照らしてくださり、キリストを知るように導き、わたしたちの意志を新たにしてくださいます。そして、第三に、キリストの十字架と復活において示された神の福音(良き知らせ、勝利宣言)を受け入れさせてくださり、イエスこそ、神の約束のキリスト、救い主であることを告白させてくださるのです。
 使徒パウロは、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい」「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい」「無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい」(エフェソの信徒への手紙5章8、10、15、17節)と命じます。
 それは、キリストの救いに導き入れられながら、なお残る罪と闇につく思いとの戦いの中で、十字架の死から三日目に復活されたイエス・キリストが、わたしたちを照らしておられることを信じつつ、命じられる、聖潔の道です。
 主の霊に導かれつつ、キリストの命を喜ぶ道を共に歩んでいきましょう。

 聖書の言葉
 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。    エフェソの信徒への手紙4章30節  
 
 わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、「キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音」(エフェソ1章13節)を聞くために、聖霊の御業を有効に働かせてくださり、感謝します。どうか、わたしたちが、共に、あなたの御声を聞きつつ、生きた石として用いられ、互いのために執り成して祈る、霊的な家につくり上げられますように。愛する主、イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。

 

2018年7月8日 ウェストミンスター小教理問30

御霊は、キリストの手に入れたあがないを、どのようにして私たちに当てはめてくださるのですか。
(答え)御霊が、キリストの手に入れたあがないを私たちに当てはめてくださるのは、わたしたちの中に信仰を働かせ、それによって私たちを有効召命においてキリストに結びつけることによってです。

 キリスト教信仰において、大切な教理理解の一つは、わたしたちの救いは、わたしたちの信心・自由意志・自己努力によるのではなく、ただ、神の恵みによるのであり、聖霊なる神の全面的かつ独占的な働きによることです。
 そのように聖霊なる神の働きを認識することにおいて、わたしたちは、救いを人の栄光に帰することなく、ただ、神の栄光を現すものとして信じます。
 この教理問答で用いられる「有効召命」とは、ただ、外面的に、御言葉に聞いていることを指して用いられる「外的召命」と区別して、内面的に、聖霊が働いて、確実に、わたしたちをキリストと結合させてくださること、救いに導き入れることを指しています。 
 聖霊が、キリストの獲得された贖いそのものを、わたしたちに適用してくださるとき、わたしたちの心の中に、信仰(心からなる信頼)を起こしてくださり、それによって、わたしたちを、霊的かつ生命的に、キリストのもとに呼び起こしてくださって、確実に、キリストの結合してくださるのです。
 「主(イエス・キリストご自身、じっさいに、聖霊)が彼女(リディア)の心を開かれたので、彼女はパウロの話(キリストの福音:良き知らせ)を注意深く聞いた」(使徒言行録16章14節)のです。 
 また、イエス・キリストは、「わたしの話した言葉によって、あなたがはすでに清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつなっている」(ヨハネによる福音書15章3,4節)と命じ、約束されました。
 今日も、聖書と説教において、キリストの言葉を聞き、キリストの救いの恵みを共にし、キリストの体なる教会の一員として、主をほめたたえましょう。

 聖書の言葉 
 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
                エフェソの信徒への手紙1章14節
わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、聖霊の恵みによって、あなたの愛する独り子、イエス・キリストを信じ、心からなる信頼をお与えくださり、感謝いたします。どうか、日々、あなたの御言葉を聞く度毎に、聖霊によって、わたしたちの心が開かれ、「内なる人」が新たにされ、ただ、あなたの栄光を、ほめたたえるものとならせてください。主、イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。


2018年7月1日 使徒信条

 我は、・・我らの主、イエス・キリストを信ず。(とくに「イエス」の御名)

 この「イエス」という名前は、当時のユダヤ社会では特別珍しい名前であった訳ではなく、旧約の時代においては、ヘブライ語で、「主は救い」を意味する、「ヨシュア」「イエシュア」に相当する名前が、ギリシャ語で、「イエス(音:イエスース)」と呼ばれるものです。
 それは、「主は救い」というその名のとおりに、「この子は自分の民を罪から救う」という約束の名前でした。
 ちなみに、ヨシュアとは、モーセの後継者です。神の御子でありながら、後継者の名を取られた理由は、謙遜であり、「イエスは彼ら(聖なる者とされる人たち)を兄弟と呼ぶことを恥じとない」(ヘブライ人への手紙2章11節)ためです。
 それは、イエス・キリスト自ら、「わたしは、あなたの名をわたしの兄弟たちに知らせ、集会の中であなたを讃美します」と言い、また「わたしは神に信頼します」と言い、「ここに、わたしと、神がわたしに与えてくださった子らがいます」(ヘブライ人への手紙1章12,13節)言われるとおりに、永遠の神の御子でありなりながら、父なる神に祈る者となられ、愛する者たちを、神の家族:兄弟姉妹として、一人一人、その名を呼んでくださるためです。
 実に、イエス・キリストも、わたしたちと同じように、血と肉を備えられて、死をつかさどる者、悪魔をご自分の死(十字架の死)をもって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷の状態にあった者たちを解放してくださいました。
 このように、十字架の死から三日目に復活された、イエス・キリストは、今も、ご自身が受けられた試練と苦しみをもって、試練を受けている者たちを助けてくださいます。主キリストが御子として神の家(教会)を忠実に治めておられることを信じ、御言葉を信じて祈りつつ、主をほめたたえて歩みましょう。
(ヘブライ人への手紙2章11~18節を参照:奨励)

  聖書の言葉 
 わたしたちが救われるべき名は、天下にこの(イエス・キリスト)名のほか、人間には与えられていないのです。  
                       使徒言行録4章12節

わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、愛する独り子を、わたしたちの罪の身代わりとするために、お遣わしくださり、感謝します。今、ただ、キリストの贖いのゆえに、お互いを兄弟姉妹として与えられたことを感謝し、あなたの愛しておられる、一つの神の家族として、御名と御心に適って、共に讃美し、共に祈る群れとしてください。唯一の救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
 

 

 

2018年6月24日 ウェストミンスター小教理問29

キリストが手に入れたあがないは、どのようにして私たちに分け与えられますか。
キリストの手に入れたあがないが、私たちに分け与えられるのは、キリストの聖霊がそれを私たちに有効に当てはめてくださることによってです。

 キリストが十字架の上でその身をささげられたことは、人々の罪によるものでありながら、神の御心においては、唯一の完全な犠牲(いけにえ)であり、神の義を満たす完全な贖いでした。
 贖うとは、買い戻すという意味で、キリストにおいては、罪の奴隷下にある者たちを、ご自身の血の代価をもって、必要な身代金を支払ってくださり、神のものとして買い戻してくださったという事です。
 ですから、キリスト教信仰とは、単に、正しい教えを理念的に信じ込むことではなく、神が成し遂げられた救いの御業をあるがままに信じることであり、聖霊は、キリストの贖いの恵みを、わたしたちに有効に当てはめ、適用してくださるのです。
 イエス・キリストは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(マタイによる福音書16章26節)と問いかけられます。
 堕落ゆえに、永遠の滅びを招来した罪人は、ただ、キリストの贖いゆえに、永遠のいのちに至る救いを与えられ、聖霊によって、神の所有とされることにいて確実に救われます。
 また、イエス・キリストは、「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12章24節)と言われました。わたしたちは、皆、聖霊の恵みによって、罪に死に義に生きる者とされます。そして、わたしたちは、自己本位の人生から、神の栄光を第一とする人生への転換され、キリストが治める神の家族の一員とされるのです。今日も、聖霊の結ぶ実を感謝しましょう。

 聖書の言葉 
 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子する霊を受けたのです。          ローマの信徒への手紙8章15節

わたしたちの祈り
 天の父なる神さま、あなたの愛する独り子、イエス・キリストの成し遂げられた、十字架の贖いを、今、聖霊によって、わたしたちの命として適用してくださり、感謝いたします。どうか、日々、ただ、恵みによって、あなたの所有(もの)とされたことを感謝し、あなたの栄光を、御心にかなってあらわす者としてください。主、イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。